金神も画面に花道があるのだなあと気付いた話。 #ゴールデンカムイ
この文章、本誌掲載時に沿って書いたので、単行本ではまた結構、変わってしまいましたけども。
本誌分は本誌分として残しておきますね。
『ゴールデンカムイ』読んでて、ああこれって歌舞伎の花道なんだなあ、と気付いた。
まあ、通ぶって言うほど歌舞伎ファンってわけでもなくて、気になる演目があったら年に一度行くかどうかってくらいなんすけどね。
トーシロ目線で、歌舞伎の演出で特にスゴイと思うのが花道なんすよね。舞台上の架空の世界と、観客の座る現実を繋げる。VRとか3D映画みたいな舞台装置。
歌舞伎見物に行って、花道の近くの席だったりすると、その臨場感ってスゴイ。
マンガで斯様な演出、手塚治虫もよく多用してたように思うけど。
まあいろんな作品で見かける手法ではある。
登場
98話の鯉登少尉の登場シーンなんかその「花道」の典型。
(ゴールデンカムイ10巻)
後ろ姿がだんだん大きくなって、効果音がいったん入って、そして舞台で見得を切る。
彼が「こっち」を向くまで顔は見えないから、否が応でもどんなキャラだろうと期待が高まるわけですよ。
まるで「暫」のよう。
鯉登少尉がヤケに印象的なキャラだと思うと、登場のシーンからしてそう演出されてる。98、99話はもぉ彼のために用意された大舞台。
外から駆け込んできてお目見えするなんて、二枚目*1とか、主役の扱いですよ。
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退場
花道の使われ方にはもう一つ、退場のシーンもあって、こっちは103話で尾形が演じてる。
(ブログは横組みだから、コマも左→右の方向で並べた)
(ヤングジャンプvol.1808)
こっちは、ほとんどキャラの大きさが変わらず、淡々と静かに去っていく。それまでずっと動かずに喋ってたのに、そこから5コマも歩くシーンだけが続く。
この演出ってスゴいなと思った。
この静かに堂々と歩み去るっていうのもまるで歌舞伎の花道*2。正面→後ろ姿って転換も含めて。
舞台上で大芝居をうったキャラが、そのドラマの情感の余韻を引きずりながら、悠然とフェードアウトする。
背景の建物がやけに開けっぱなしなのも舞台の大道具を思わせるし、実際の作中のコマでずっと人物がコマの左側に描かれてるのも、花道が客席の左側、舞台の下手に作られてるのと似てる 。
花道は、客席って現実と、舞台上って架空の世界との通い路なわけですよ。
あの父親との一夜は彼にとって、異世界の出来事なんだ。
尾形っつーと銃だけど、全編通じて、(幼少期の回想は除いて)この場面だけは銃に触れてない。
単に、任務に必要ない、邪魔になるだけ、ってこともあるけど、彼にとっては銃が現実の象徴なのかも知れない。*3
遠距離狙撃を得意とする彼が、父親に限っては腹を刺すなんてもっとも接近した(性的なメタファに溢れた)殺し方してるのだ。
さらに平時は寡黙な彼が珍しく長広舌振るう、しかもムズカシーこと喋ってるなんて異例尽くめ。
父親を陵辱した後のこの冷静さ……それを通称賢者モードという。
どうせ父親はすぐ死ぬのだし、独り言、あるいは読者への告解のようだ。
父親の閨房なんて、ひどく暗示的な空間*4で、ここは現世と隔絶された告解室なんだ。
そうして彼は、花道を静かに通って、彼にとっての現実に帰って行く。
そこで待ち受けてるのが鶴見って出来過ぎだろ。
彼こそは、虚無の世界から、美醜綯い交ぜの現実に引き戻そうとするメフィストフェレスなんだし。