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日々是々

金神136話「最後の侍」 ゴールデンカムイ

金神14巻の感想 ゴールデンカムイ - day * day

Asirpa Christ Superstar。

そういや、鶴見隊、鶴見以外はカラー初めてだ。
鯉登少尉や月島の服、こんな色なんだ。
飛び散ってるのはもしかして鶴見の汁ですか……(なんか緑色してるし緑膿菌ぽいぞ……

アシリパさん達、合流。
キロランケはしっかりアシリパさん守ろうとするんだよな。

網走監獄の平面図。
え、教誨堂ってこんなとこにあるんだ。
舎房からここまで、正門の前通らないと行けなくね?
正門のとこには看守達がマキシム機関銃構えてるんでは。

土方が犬童に介錯
ひと太刀で首を落としてるのは、さすがですわ。

杉元と、のっぺら坊の遭遇。
のっぺら坊がウイルクで、アシリパさんと再会しちゃったら、もう、刺青ってどうでもよくね……?
アシリパさんはなぜ、父の名前を誰にも伝えないのだ。
「ウイルク」の名前を口にしてるのって、インカラマッだけなんだよね。

のっぺら坊も青い目の一族……
コーカソイドモンゴロイドの混血で碧眼って珍しい(碧眼は潜性遺伝だけどまあ、遺伝子の発現は複雑なプロセスだし例外も多いから、アリエナイとは言えない*1)ので、アシリパさん・キロランケ・のっぺら坊は血縁関係があるはずなんだ。
碧眼になりやすい遺伝子らしい。

のっぺら坊がウイルクだとすると、どこで日本語憶えたんだろな。
大陸の言葉、もしかするとポーランド語、アイヌ語、それに日本語も。
司法機関ごまかせるくらいには日本語できるんだっけ。

アシリパさんを巻き込むな、と、杉元。というか、ジャンヌ・ダルクのことはどこで知ったのだ。当時もう知られてたのか?*2

→と思ってたら、先生のツイートが。

血と殺戮に酔ってる鶴見。
鯉登は誰か追っかけてどっか行っちゃったんですかね。
鶴見「有坂閣下の「坊や」に挨拶しろ!!」は、おそらく『スカーフェイス』のアルパチーノの台詞「Say Hello to My Little Friend!」が元ネタ。(→金神133「700人の凶悪犯」感想 ゴールデンカムイ - day * day

杉元にとってアシリパさんはただの小娘じゃなくて、希望、救世主*3なんだよな。それは多くのキャラにとってもそうなんだけど。
彼女自身がホントはなにを望んでるのか――のっぺら坊の目指すアイヌ独立運動なのかそれとも杉元の望む平穏な生活なのか、それって、のっぺら坊も杉元も、誰も知らないのだよね。
アシリパさん本人の意志は誰も知らない、気にもしてない。
杉元も、のっぺら坊も、自分の希望を、彼女に託してるだけだ。
彼らは何か絶望を経験して、そこから救いを求めて無垢な少女にすがろうとするのだ。
そこが、一人の人間ではなく、救世主であることを期待されちゃった人物の辛いとこ。

杉元、アシリパさんをリスペクトしてるようで、過保護になってたりもする。
尾形が「男ってのは」って言ったのを慌てて止めようとしたり。
少女への気遣いではあるんだが、パターナリズムに陥りそうで不安だ。
アイヌのコタンでの殺戮でもそうだけどさ。
杉元は生のアシリパさんじゃなくって、自身の理想化された魂を投影しちゃってるんだよなあ。
気を遣わないって点では、尾形のほうが、生のアシリパさんに接してるようでもある。

しかしアシリパさん自身には、なにがあるのか?
孤高って意味では、尾形とすごーく似てるんだよなあ。
なにが目的なのかもないし、誰かにすがろうともしない(でも助けられる)
遠距離射手って、他人と距離を取ろうとするのも共通点だし。

のっぺら坊がアシリパさんを救世主に仕立てようとするのって、鶴見が尾形を軍神の遺児として担ごうとしたのと丸被りじゃん。
この場に尾形いないで良かった(笑)
いたら、ブチ切れてのっぺら坊殺してるかもですよ?

途端にのっぺらぼうが胡散臭くなってきた。
そもそも、「北海道独立!」ていうなら、鶴見と目的が同じなんだし、手を組めるはずなのに。

*1:今年から優性劣性でなく、顕性潜性て訳語になったのね。

*2:この下り、実は、スピルバーグの『宇宙戦争』思い出した。「敵と戦うんだ!」っていきり立つ息子に、父である主人公が「戦うのは勝手だが10才の妹を巻き込むな」ってたしなめる。この主人公の子供二人はウエルズの原作にはなくて、映画オリジナル。で、主人公の内心の二面性を象徴してるわけ。侵略者に対して戦いたいってココロと、それよりももっと大事なことがある、ってココロと。後段、娘を守るために主人公が他の人を殺すことになるのが切ない……

*3:念為。「Christ/キリスト/クライスト」って「救世主」って意味の一般名詞。ナザレのイエス以外のキリストも有り得るし、「イエス・キリスト」と口にすることはナザレのイエスを救世主と認めるって信仰告白の行為でもある。