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『漱石の脳』

読んだ。

漱石の脳 (叢書死の文化)

漱石の脳 (叢書死の文化)

東大医学部標本室のガイドブックのような本。数々の標本の成り立ちや作り方や意義を解説、考察してる。
それらを通して繰り返される、脳と身体の関係性、相克が主眼。
「人は幻想の中に生きている」などと。

学部、学術分野ごとに染みついた考えかたを比較してみたり、しまいに、漱石と鷗外の違いまで論じてみたり。
表題の「漱石の脳」はホルマリン漬けの標本なのだけど、血管などもキレイに取り除かれて、まるで漱石の文学そのもののように身体性がない、と。

と、高尚な哲学を語りながら、本そのものは、例の刺青人皮のコレクションから入るあたりがキャッチーだ。三島由紀夫と刺青て現実的な話から、イレズミというものの意義について述べてみたり。
ちなみに、イレズミといっても、刑罰としての入れ墨(黥刑ってやつですね)、まじないや装飾のために入れる刺青、もっと大柄で一面に入れる文身はそれぞれ違うもの。
イレズミとは、その人が何者であるか、何を為した人物であるかを表すアイデンティティであり、化粧や勲章と同じ、てのがナルホド。イレズミ者と、肖像や胸像になって学内に祀られた御歴々が同じ俎上に上げられちゃう。こういったユーモア、嫌いじゃない。
ちなみに、医学的には、皮膚も臓器の一種であり、しかも、最も重い臓器である、ってのが目からウロコ。3~5キロほどあって脳や肝臓より何倍も重いとな。

全身骨格の話…骨格標本の作り方なんてのも興味深いけど、ある夫婦者。明治時代の右翼の大立者で、国のためにと夫婦で献体したってのが本物の国士だよなあ、と。
この項の最後の最後に、今ではこっちのほうが有名になってしまった息子の名を明かしてるとこが、狡猾だw
骨格標本杉山茂丸と幾茂、息子は夢野久作だったりするのね。杉山は医学への関心が高かったのだそうで。

話はたまに、明治以降の文教政策への批判に及んだり、日本ではなかなか本物の死体を使った標本が作られないと嘆いて、オーストリアやヨーロッパ諸国を羨んでみたり。

出て来るネタそのものは、そういや、「死体の文化史」と近いけど、もっと、学術的というかインテリ的というか。
あくまで死体の話なので、哲学的な思索の高みからすぐに生身の人間の生に引き戻されるあたりが、ああ、脳と身体性のアレコレてやつなのだなあ、と。
日舞の師匠だった女性、死後に解剖してみたら先天的に小脳がなかった、とか、ちょっと前までは日本の学者が大きな発見発明をしても欧米ではほとんど相手にされなくて、後から同じことした西洋の学者がノーベル賞取ってて、憤ってみたりとか。
三島由紀夫と、彫物名人の逸話もオモシロイ。(刺青人皮コレクションでも白眉の全身の刺青人皮の主……当時は随一の彫物師で、本人も全身、頭から手足の先まで入れてたそうな)
著者は東大医学部解剖学教室で、養老孟司に師事したそうな。
いずれ彼らも献体して標本になるのかも知れない。
東大の標本に限らず、ヨーロッパ諸国の大学の標本も紹介されてるあたりが、大人の事情ってやつ。

いろんな標本の作り方が紹介されてる中で、管腔臓器の標本…要は血管とかの標本ですね…現代はプラスティネーションてちょー便利な技術があるけど、それ以前は、融点が70℃くらいのガリウム合金を、死体の血管に流し込んで鋳型を取って作っていた。
…ふと、島田荘司の「暗闇坂の人食いの樹」思い出しちゃった。小説の中では水銀って書いてたのは、きっと島田荘司のロマンチシズム。

てかこの本、「死の文化」て叢書の一冊らしいが、なんですか、このキャッチーなシリーズ物は! ついつい全巻揃えたくなっちゃうじゃないのさ!