day * day

日々是々

金神165話「旗手」感想 ゴールデンカムイ

なんで今頃になってこんな話を、原作でやっちゃうかな……
orz

faomao.hateblo.jp

いきなり戦闘の場面から。
旅順攻囲戦の記録(→旅順攻囲戦 - Wikipedia)によると、われらが第七師団が攻囲戦に投入されたのは1904年の11月29日。

おお、勇作君、意外とw勇猛果敢だ。
師団長の息だもんなあ、後れを取るわけにはいかんよね。

お懐かしい、岡田と二階堂(のどっちか。すまん、浩平と洋平、区別つかない)、玉井伍長もいるし。

そして、尾形。
小銃を構えて、ちょっと一歩引いたところにいるのかな。

4・5ページ上の見開きは、旅順港俯瞰図。
当時の地図(→Map_of_the_Encirclement_of_Port_Arthur.jpg (1686×2178)からして、二〇三高地の南西麓あたりからかな。(この地図だと、爾霊山ってあるのが、二〇三高地
*1

淡々と敵を仕留める尾形。

鶴見。
二人の会話からして、鶴見はこの時点で、有用な人材を密かに集めることにしているようだ。なにかの計画のために。
鶴見が厳しい顔をしてる。

尾形「では殺さない方向で」
今までにも邪魔な人物は密かに処分していた模様。
……ってことは、この後の展開、鶴見は把握してたんだ。
鶴見の計画に有益だから殺さない予定だったのに、尾形が殺してしまったのが、二人の離叛の原因なんだろか?

薄暁、死者の野を歩く兄弟。
小隊長殿ってのは、鶴見のことだよね、きっと。
やっぱり勇作君、屍体はキライな様子。
戦闘中はなんとか自分を鼓舞していても。

捕虜……これ用意したのは鶴見かなあ。
先週の女を抱かせるって色仕掛けが失敗したから、今度は度胸試しをさせようと。
「普通の人」は、かなりギリギリまで追い込まれても、なかなか人を殺す事は出来ない。だからしばし、戦場で、イニシエーションとしての殺人、度胸試しがなされる。
しかも、銃剣なんて、すごく近い距離で殺させようとしてる。
罪悪感は自分と被害者との距離によっても変わる。
だから敢て銃剣を選んだのだね……軍刀ですらなくて。銃剣は先端しか刃がないので刺すだけの刃物。相手の肉体を刺すというのは、性的暴力の暗喩でもあるわけで。
「さあ殺れ」と凶器を握らせる……そういやこれ、鶴見と江渡貝のシーンのリフレインなのかな。
鶴見は江渡貝に母親からの離脱を迫ったけれど、尾形は弟君に堕落を迫る。

尾形も、単に陰謀仲間に引き込むというだけではなくて、たった二人っきりの兄弟だから、仲間が欲しいんだ。
自分が唯一の存在ではない、兄弟なら理解してくれるかもって。

弟君は兄様の請願を拒む。
個人の感情ではなくて、あくまで「父の言いつけ」として。それは言い訳に過ぎないのかもだが。
弟には、人殺しの罪科を負わせまいとする、身勝手な父。
手を汚させないという、祝福を与える。

尾形「殺した相手に対する罪悪感ですか? そんなものありませんよ」
ああ、やっぱり、尾形、そういうやつなんだよ。

何度も繰り返してるけど。
彼のパーソナリティ、端的に言うなら、「冷血」なんだ。
生れつき、人殺しへの罪悪感、忌避感がないタイプ。人間のうち2~3%ほど、こういうタイプがいると、グロスマンは言う。*2
でも、それを、悪だと非難したり、治療すべき病気や障害だとかって、否定的に捉えるんじゃなくて、「そういう個性」として納得したいんだ、私は。
現実に身近にいては欲しくないけどな! でも、非実在青年だもの。*3
きれいにまとめると、冷血だけど邪悪ではない・サディストだけど衝動的な暴力者じゃない・エゴイストだけどナルシシストではない、というところでどうでしょう。

尾形は人殺しへの罪悪は感じないけど、すごく理知的な人物だから、頭で、「罪悪感を感じるべき、少なくとも感じてるふりをすべき」だと理解してる。
尾形「みんな俺と同じはずだ」 自分がマイノリティの側だと気付いてるけど、それを認めたくないんだ、この時点では。
自分だけが、普通じゃない――異常な――祝福されない――呪われた人間だとは思いたくない。
まだ、父(≒神)の承認、祝福を求めてた(後日、父親を殺すことで、父親への思慕、承認や祝福への渇望から自分で自分を解放――救済したわけ)

だけど、中将も、勇作君も、「普通の人(マジョリティ)」なので、マイノリティの心情はわからない。
彼らは疑ってもいない。すべての人は良心を持って生まれるはずだって。
どうしようもないほどの、尾形の孤独。

勇作「この世にいて良いはずがないのです」
勇作君は、ただひたすら、善良で、そして、愚かだ。
自分とは根本的に違う、尾形の心の有り様に、思い至ることができない。
彼の世界にはそんな人間は存在しない。
兄のほうが、分かってないと、憐れんでさえいる。
憐れむべき兄の心を救おうと、最大限の愛を篭めて抱擁する。

弟の慈愛こそが、尾形の殺意の引金なんだ。
弟君がめいっぱい抱きしめたから、尾形の殺意が決定的になった。
そこで弟君の憐憫、愛情を受け入れてしまったら、自分がこの世にいてはいけないってことになっちゃうもの。

勇作「そんな人じゃない」
尾形は自分の心をよく知ってる。
尾形がホントに求めてたのは、あるがままの自分を受け入れてくれる存在だったはず。或いはせめて価値観を共有する仲間。
だけど、勇作君は全否定しちゃった。
尾形自身が知る自分という人物は、勇作君にとっては、卑しくて憐れでこの世に存在すべきではない「そんな人」。
(鶴見は部下達を道具としてしか見てないから、尾形の「冷血さ」も有用な属性として受け入れてたんだろうけども)

尾形はプライド高いんだ。

身長差といい、ロングコートとゆるふわな外套って服装といい、周囲の屍体さえなければ、男女のラブシーンにさえ見えるぞ、これ。
ラヴがタナトスに置き換わるって、このゴールデンカムイって作品の中では何度も繰り返されてるドラマだ。

*4

尾形が無表情で銃を構えてるのは本気で怒ってるとき。
彼は怒りを表情に出す術を知らないから。


(「サイコパス」の定義も面倒くさいけど)尾形を、サイコパスだとすると、いろいろと腑に落ちる。
ジェームズ・ブレアがサイコパスの犯罪の特徴の一つとして“道具的暴力”を挙げてる(→サイコパス -冷淡な脳-)。サイコパスは、衝動的だったり、それ自体が目的の暴力をふるったりはしない、「無益な殺生はしない」(よく混同されがちな快楽殺人者は、他の精神症状を併発してるだけで、暴力や殺人に快楽を得ることはサイコパス自体の特質ではないのだと)。
確かに、尾形は、感情に駆られたり衝動で暴力をふるうことはない。自分で「根に持つ性格じゃねえ」といってる、それは本音だろう。彼の暴力や殺人は常に何らかの目的がある。
というか、ただ冷血で良心や罪悪感がないから、何か目的を達成するために普通の人が本能的に避ける手段(殺人とか)を厭わないんだ。すごく自由だともいえる。良心や罪悪感が行動を制限することもないし、逆に衝動や感情に駆られることもない。
だけど、唯一の例外が弟殺しだった。鶴見との計画では、勇作君は生かしておくはずだったのに、尾形は、怒りに任せて勇作君を殺してしまった。
だとすると、熱にうなされた彼の前に勇作君が現れたのも納得。今まで理詰めで行動してたのに、初めての感情的な殺人だから、戸惑ってる。ある意味、弟君の親愛は、ちゃんと兄様にも伝わってる――最悪の形でだけど。
数少ない自分に親愛を向けてくれた勇作君を殺してしまったあたり、やっぱり尾形は孤独だ。

後頭部を撃ち抜かれて――弟君、振向いちゃった。
朧に描かれる弟君の顔。
やっぱり彼もぱっちりお目々なのか。

彼は無表情だ。怒りでもなく、憎しみでもなく。
もう、聯隊旗を持ってない。

尾形は、少しは後悔してるのかも。弟君を殺したことを。
ただし罪悪感ではなくて、自分が怒りに駆られたこと、行動選択を失敗した、と。
勇作君はちっとも怒りや恨みって負の感情を見せてない、それって尾形自身が、弟君に対して負い目がないから。
逆に、尾形からも、勇作君に対して、憎しみだとかって、悪い感情はない。
ある意味、弟君の善意や愛情はしっかり伝わってるんだ。ただ、それが、兄の怒りを掻き立てた。

103話で父に語った弟殺しの動機は、後付けかも知れない。
自分を否定されたことへの怒りが、直の動機で。
母にしろ父にしろ、百之助を無視・否定したゆえに殺されてるわけだし。

とすると、尾形の行動原理は一貫して、居場所探しってことになるな。
土方に下ったのもそう。
弟殺しが切っ掛けで、安住の地を出て、放浪をすることになるって、まさに、カインの物語だ。

尾形は徹底して冷血で合理主義だから、自分からは行動できない、誰か導き手を必要としてるように思う。

そもそも、勇作君=聯隊旗手、兵士を導く役目なわけで。
だけど尾形の導き手には成り得なかった。彼が最も望んでない方向を指しちゃったから。
勇作君の導く先には、尾形のような、「人を殺して罪悪感を微塵も感じない人間」の居場所はない。

目覚めた尾形の前にはアシリパさん。
勇作君にしろアシリパさんにしろ、二人とも、尾形が殺した「神」の子なんだ。
9巻87話の蝶とか、11巻103話の北極星とか、13巻121話の松明だとか、
これってアシリパさんが尾形の導き手であることを暗示してるんじゃないかなあと。
弟君の代わりに、アシリパさんに希望を托そうとしてるのかなあ、と。

今度は雀を撃たないでいられる?

  • わが天使なるやも知れぬ小雀を撃ちて硝煙嗅ぎつつ帰る(寺山修司
  • わが天使なるやも知れず寒雀(西東三鬼)

さあどっちだ。

*1:ちなみに、二〇三高地山頂からだとこういう眺め。2002年に行った時に撮ったのさー。水平線の位置からして、本誌の絵はちょっと低い地点から。
f:id:faomao:20180705154613j:plain

*2:「人殺し」の心理学

*3:というか自分でオリジナルの小説書くと大概、主人公がそのタイプになるので……

*4:こっちのブログはあくまで原作に沿った感想とツッコミを書く場で、あんなことやこんなこと妄想してる二次創作の場(https://pixiv.me/faomao)とはきっちり区別しようと思ってるんだけど、原作でこういう話を書かれてしまうと、とても平静でいられない。
すごく不遜で、口幅ったくて、おこがましいかも知れないけど。
昨年のヤングジャンプ、2017年1月12日に発売された1808号で金神103話を読んでから、ずっと、尾形の肉親殺しの物語のことを考えてた。いろいろと考えて、このブログにもウダウダ何度も書いたり、二次創作にまとめたり(「103」/「華猫」のシリーズ [pixiv])。
そのうち、「弟君が泣きながら兄者を抱きしめてる」てシーンが脳裏に浮かんできて離れなかった。
それで、ちょうど1年前に、「山猫」( R-18 山猫 | 華猫 #pixiv)って書いた。アップが7/9になってるから、ほんとにほぼ1年前。 この話は二〇三高地での兄弟の相克が主軸。終盤、弟君(書いた当時はまだ勇作て名前は出てなかった)が泣きながら兄者を抱きしめる、兄はされるがままだけど、その弟君の衝動的で手放しの愛情と憐憫が、直接的に、兄の殺意を呼び起こした……
そこに至る経緯やセリフは、今回の165話とは全く違うし、腐な……つまり同性愛的な要素(「これはあくまでパロディなんだ」っていう最低限の断り書きの意味もある)も含んだ二次創作なんだけど。
とにかく、絵、が。死屍累々とした荒野で。涙を流してる弟君が、無表情な兄者を抱きしめてる。熱情と冷血。屍体と生者。兄と弟――そんな、私が脳裏に思い描いたままの絵が、今になって原作で描かれてしまうなんて、どーしたらいいんだ……
キャラや場面の設定とか、私は、作者氏の作劇のセンスについて行けてる、て思うと嬉しくもあるんだけどさ。きっと、私が漠然と抱いてる作品に対する想いが、大きく裏切られることはないのだろう、私が根本的に勘違いしてるわけではないのだろうと、信じていいのかな……(実を言えば、先週6月29日は私の誕生日だった……2週に渡った尾形の物語は、折良く思いも寄らないプレゼントになってしまった)