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日々是々

『鉄血』猪熊敬一郎 #読んだ

日露戦争従軍記のひとつ。

各社から単行本にもなってるけど、国会図書館のデジタルアーカイバに入ってた。

国立国会図書館デジタルコレクション - 鉄血 : 日露戦争記

epubにしてみた。
猪熊敬一郎 - 鉄血
(旧かな。漢字はなるべく新漢字。小見出しが変なとこに入ってるのは原著が変態的な小見出しなので)

著者は明治16年(1883年)生、日露戦争開戦時に士官学校を繰り上げで卒業(15期卒)して少尉に、陸軍第1師団歩兵第1聯隊に配属され、戦場で成り行きで聯隊旗手になって1905年7月に中尉に、終戦後に肋膜炎を発病して1911年に病没。
28歳ですってよ。

彼の陣中日記を元にしてるだけあって、部隊の移動とかが細かく記されてて興味深いんだけど、読み物としても面白い。
ああ、頭の良い人だなあ、と。

陸士15期卒業ってことは、従軍した士官では最後の、一番若い世代ということに。出征当時20歳。*1
1904年5月に出征して、06年1月に帰還。その間の体験を逐一綴る。
最初は脳天気に、早く戦争に行きたい、って言ってたのが、戦場で多くの人が死ぬのを直に見たり、その後の死体の始末をしたり、あるいはロシア兵や現地住民と交流したりして、段々、厭戦的になってくのがなんとも。
凄まじい戦闘があったかと思うと、戦闘の合間に陣地を造ったり、現地の観光をしたり。
彼が旗手になったのは、たまたますぐ近くで旗手が戦死した、その旗を拾ったからってのも面白い。
雇った中国人苦力達が砲撃に慌てふためいてるのを笑ってたかと思うと、旧友や戦友の死に愕然としたり。
旅順攻囲戦にも参加したりしてるけど、戦闘のあまりに凄まじさに、将兵もどんどんおかしくなってく、最初の聯隊長が一人で突撃していって討死したり。*2
「旅順が落ちた」というのを降服してきたロシア将校から聞かされたというのも意外。今停戦合意の交渉中って、前線にちっとも知らせてないっていう。
その後も奉天会戦に参加したり。
最初から最後まで繰り返されるのは、とにかく、モノがない、と……飯もロクにない、酒も煙草も貴重品と。
ごく個人的には現地の刑場の梟首の様、町外れの一本の大木がそのまま梟首台になってて、その枝に弁髪で首がいくつもぶら下げられて、朽ちるに任されてる、その木の根元に祠が据えられてる……という光景が印象的だ。戦場の惨状を何度も見て来ても、その晒し首の様に最初は戦慄したけど、そのうち慣れた、とな。

彼は、三十年式歩兵銃を全然評価してないんだよね。
敵の堡塁は強固なコンクリート製だから小銃なんか何の役にも立たない、大砲と手榴弾と銃剣こそが旅順戦の勝利のカギ、みたいに書いてるのが、他の文献では見たことなかったから、かなり意外。
そういう評価する将校もいるってことで。
この人、軍に批判的なことも書いてて、当時はそういうのまだ許されたんだなあ、とちょっと意外。

*1:鯉登の1つ上、勇作君の一つ下ってことになる。

*2:Wikipediaによると寺田錫類中佐だそうで(歩兵第1連隊 - Wikipedia)。……第一聯隊長って、乃木希典とか立見尚文とか、蒼々たるお歴々なんだな。