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金神187「罪穢れ」感想 ゴールデンカムイ

faomao.hateblo.jp

扉のアオリは、『天空の城ラピュタ』の主題歌『君をのせて』のパロディ。*1

尾形のファンにはツラい展開が続くね。
単行本の12巻以降、尾形がどんどん悪役にシフトしていって、それはヤングジャプ本誌での連載時から見比べてもそうなんだけど、その悪役っぷりがクライマックスって感じだ。

尾形の猿芝居が延々と。
杉元見つけてから1ヶ月も引張るとか……
あんこう鍋、そこで出て来る~

なんか。
一瞬、ロロ・トマシ*2思い出しちゃったけどあんまり似てないか。
相手の一言から嘘を見破るって部分だけだ。

尾形「あーあ…」で急に口調が変わるの、もう繕うのを止めた、仮面を外した。
帽子まで脱いじゃった……ヤだなあ、寒さで死にそう。

アシリパさんに、弟君へと同様に人殺しという堕落を迫る彼はさながら、サタンやマーラのようで。
相手の愛する者を奪ったことを、わざわざ告げて憎むように仕向けるって、父ちゃんのときと同じだ。

ああ、やっぱり尾形、アシリパさんからキーワード聞き出したら殺すつもりだったんだな。
尾形の中には愛や神に感応する心なんてないようだ。
しかし彼は、アシリパさんの杉元への恋情や、母の父への思慕を知ってる。愛情の存在を頭で理解していても実感はしない。
ほんとに彼は信用できない。
でも大好きだけどね

尾形「時間切れかな」という。
この時間って、杉元に追いつかれるか、自分がアシリパさんを殺すか、アシリパさんが自分を殺すか、どれだろう。

アシリパ「お前はなにひとつ信用できないッ」
尾形「やっぱり俺では駄目か」
アシリパさんは、尾形のことを、戦士や旅の仲間として信頼はしてても、信用はしてなかったし、尾形もそれに気付いてた。
どのような形であるにせよ、いずれ破綻するのは予期していた。
それがタイムリミットなのかも知れない。

尾形「殺す道理さえあれば罪悪感なんぞに苦しまない」といいつつ思い浮かべるのは勇作君。
でも、尾形、勇作君殺しに道理はないよね?

尾形はそもそも殺人への本能的な罪悪感がない――
ってもこれはあくまで私がそう仮定してるだけでなんだけど。現実の犯罪精神医学なんかの専門家の書くところによれば、大多数の人間には殺人へのタブーの本能があって、でも、1~3%ほどの人間は生まれつきその本能がないという。サイコパスと呼ばれるパーソナリティがそれに相当するのかはよくわからない。診断法が違うのだ。別だとする人もいれば、サイコパスはグラデーションで傾向の多寡ががあるだけとする人もいる。あと犯罪学の専門家でも、心理学やカウンセラーなど人文系の人は生来のサイコパスの存在そのものを認めたがらない傾向があって(「生まれながらの悪人はいない」ということらしいが、人を外から単純に善悪にわけてよいのか、サイコパス=悪人であるのかはまた、議論の余地があるんでは)、精神医学や脳神経などの自然科学系の専門家と意見がわかれてるようなので、本を読むときには要注意だだだだ。
で、この物語世界で、そういう生れつきの冷血漢が現実と同じように存在して、尾形がそのパーソナリティであるのかどうか、作者氏がどう設定してるのか、わからない。
ただ、彼の幼少時がそれほど過酷であったようでもないこと、本人も自分の心の有り様を不思議がってることからして、あのパーソナリティは幼少時の虐待やトラウマといった環境要因よりも、先天的な部分が大きいんじゃなかろか。

ただし罪悪感がない、嫌いじゃないというだけで、(家永や辺見ちゃんみたいに)犯罪的な殺人への嗜好があるわけじゃない。
もともと「道理のない殺人」はしない。
でも、唯一の例外が弟君だった。
勇作君を殺したのは衝動的な怒り。
じゃあ、彼についてだけは罪悪感があるのかな?

尾形「…お前達のような奴らがいて良いはずがないんだ」
しかし彼は正しい怒りかたを知らないから、自分の怒りを表現するのにも弟君の言葉を剽窃せざるを得ない。*3

尾形、祝福を受けなかったことを未だに恨んでるのか。親殺しで吹っ切れたと思ったのに。
生身の父親はただの屠畜でしかなくて、真の狙いは、人の心の中の神、良心なのか。
どんだけ根深いんだ、このカインは。

自分を殺そうとした杉元だけでなくて、助けようとしたアシリパさんをも憎んでる、っていう。*4
彼にとって神は存在しないから、良心や罪悪感も存在しない。だから、罪悪感のある者に対して、絶対的な断絶を感じるのかも知れない。
弟君には否定されてしまったので、今度は自分から相手を否定したいっていう。
彼は親殺しで、ほんとに巣立てたのか??
アシリパさんのほうがすっかり大人だ。
彼女は親殺しではなくって、金塊争奪戦通じて新たな人間関係の中で、成長してってるから。

あ――なんかこの一連の流れ、すごーくデジャヴがする……
 嘘を重ねる。
 →ちょっとした一言で嘘がバレる。
 →開き直って殺せと迫る。
 →でも相手は殺せない。

尾形、キーワード聞き出すことよりもむしろ、アシリパさんを殺すほうが主眼だったんじゃないかって気さえしてくる。
アシリパさんにさえ銃を向ける、いいぞぉこういう冷血っぷり。
彼がこういう冷酷さを見せると、ああやっぱりそういうヤツなんだ、と嬉しくなってしまう。
だけど、同時に、私はなんといっても尾形が大好きだから、彼には生きのびて欲しいし、そのためにはアシリパさんに膝を屈っするのがベストに思える。
といっても、悔い改めたり、贖罪したりってことじゃなくって、彼らしくもない、その怒りの衝動を放棄して欲しいのだが。
生存すること自体を、彼自身は望んでいないのかもだけど。


Twitter見てたら、「トメ」=尾形母の名前説があって、成る程、とちょっと思った。当時としてはごく一般的な女性の名前だし。
最初、「ウメ」を間違えて「トメ」て言ったのかと思ったけど、尾形は「梅子」の名前を聞いたことはないはず。
で、その後「あんこう鍋」て挙げてるところを見ると、
アシリパさん「誰の話をしているんだ?」……は尾形自身のことで、だから「トメ」も彼に唯一関わる女性=母親のことかも知れない。
でも、とすると、「故郷へ帰りたい」ってのも尾形の想いってことになって、そうだとしたら、尾形はホームシックに罹ってるのか、「帰りたい」ってのは母親の死以前まで巻き戻すのか、とか、尾形像がちょっと変わる。
そんな繊細な情動があるのか疑問だけどっ。

尾形の回想シーンが明らかに嘘を描いてるんだけど。
これっていわゆる「信用できない語り手」ってヤツで、ミステリーではお馴染みだし、海外の映画やドラマではよく出て来る演出。*5
そもそも、この物語で、全ての回想シーンは誰か登場人物の主観で描かれてる。例えば、「7人のアイヌ殺し事件」はインカラマッの話の中のコマではキロランケが犯人になってるし、鶴見は真偽の不明なエゴ草ちゃんと両親の会話のコマが描かれる。
「誰も信用できない」というんじゃなくって、誰かの物語に過ぎないということ。
作品世界全体を客観的にウエメセで見渡して他のキャラや読者に教えてくれるような、超越した存在がいない。
それは、占いや予言が絶対ではないことや、先入観や偏見のなさでも示されてる。
作品全体が、こういう不可知的実存的なスタンスで描かれてるんだと気付いてから、この作品に一気にハマったんだ。

尾形の目が光るって、初めて、前代未聞ですよ!?
そして最後の杉元、まるで、不動明王のような憤怒の形相になってる。

巻末の先生の回答……え、伊佐坂難物……?

*1:君をのせて (天空の城ラピュタ) / 井上あずみ の歌詞 (132833) - プチリリ……しかしこの歌詞、両親に愛されて育った都会っ子の歌なので、この物語には皮肉すぎる。

*2:→『LAコンフィデンシャル

*3:弟君に抱き締められたときに、ぶん殴って兄弟喧嘩でもしてれば、それで終わって、兄弟の関係性も多少は変化してたのかもねー

*4:杉元を憎んでるのかどうかは、よくわからない。撃ってるけどそれが憎しみから来てるのか気紛れなのか。

*5:日本のドラマあんまり見ないからよくわからないけど、日本ではあんまりこういう演出しないような? 文学で三人称散文って小説のスタイルが早くから根付いてて、小説以外のメディアでも、語り手は特に断らない限りは客観的視点であることが大前提にされてるのかも??