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日々是々

金神204「残したいもの」感想 ゴールデンカムイ

そういや鯉登、いちおう、この隊のリーダーなんだ。
不安だけど……

豊原の町で自由行動。
エノノカのコタンは大泊の近郊。豊原~大泊、ほぼ直線で40キロ程度の距離なんですね。

そういや、エノノカたち、ロシア語は出来ないんだろか。日露戦争以前は、大泊=コルサコフもロシア人の町だったんだから、日本語よりもロシア語のほうが身近だったんではなかろか。

伐採された林とか、んー王子製紙かと思ったけど、もうちょっと後の時代なのか。

谷垣「俺の金玉がデカいと知れて」
事実なのか。
ああ、チカパシ、目撃してるんだ……

インカラマッの現在も気になる。
なんか死亡フラグ立ってないか?
エノノカちゃんはどうするっ!?

アシリパさんって、肉食系女子
野生動物見ると、取敢えず捕えて喰うっていう。*1
ヒグマやクズリすら襲う、獰猛なイキモノ……

火の儀式、面白い。
和人にも切り火ってあるし。
アシリパさんも、ちゃっかりご都合主義で、火の儀式は大切にするけど、魔除けの入墨とかは嫌うし、そもそも女が狩猟したりするのはアイヌでは御法度なんじゃ?

杉元たちを監視する月島。……と、ヴァシリ。
ヴァシリは、尾形が来ること期待してるんだろうけど。
月島、鯉登の監視はいいのか。鯉登、一人にしといたら、どこでなにしでかすかわからんのでは。
寒いとかいって宿から出ないのか。

杉元たちに近づくナゾの撮影隊。

あー……

おそらく彼らは、稲畑勝太郎とコンスタン・ジレルなんだろなーと。
稲畑勝太郎 - Wikipedia
François-Constant Girel — Wikipédia

彼らの目的ってなんだろう。
単なるオリエンタリズム、世界の奇習、異民族を撮影したいだけなのか、文化人類学の方面から「真面目に」学術的に記録したいのか。

このへん、興行としてのオリエンタリズムも、今としてはポリティカルにアウトなんだけどさ。
人類学て学問も、西洋はじめ「文明国」からの差別意識に由来してる、て、経緯がある。
先住民の墓をあばき、頭蓋骨の計測して、人種のルーツを辿ろうとしたり。(→大学が保管するアイヌ遺骨の返還について:文部科学省
人類学自体は大事な学問だと思うけど、その研究の過程は、今となっては問題があるし、当時はそれが問題視されなかったこと自体が問題でもあるし、人類の負債の一つだよねえ。
結局は、分子人類学って遺伝子から人類のルーツを辿るって分野では、人類は全体としては混淆が進んでて、はっきりと区別できる人種なんか存在しないとも。

最近、読んだばかりなので気になる~(このへんの、アカデミーの功罪についても書かれる。)

アイヌ民族否定論に抗する

アイヌ民族否定論に抗する

ゴールデンカムイ』って作品全体の流れとして、網走篇までの前半が、黄金って物質的な価値を求める話、樺太篇以降は、精神的な価値を求める話だと思ってるんだけど。ウイルクやキロランケって、チカラに訴えようとした者達の死が、それを象徴してる。
物質的、即物的な価値から、精神的な価値への転換って、宗教改革の典型じゃん。
だからこそ、アシリパさんが、「新しいアイヌの女」なんだ。
彼女は、生活や肉体に関わる伝統はちっとも重視しないで、合理的に考える。
その一方で民族の精神、文化は残したい。自分たちの存在した証だから。

人間の生身や日常は、どんどん変化してく。成長や老化もするし、あるいは、便利な道具を使うようになったり、異文化と交流したりして。
だから、文化は徐々に変遷してくもの。
その一方で、メディアに記録されたものは変化しない。
ジレルが記録したアイヌの動画*2や、ピウスツキ*3が録音した言葉は、記録された本人たちも、その言葉を母語とする人々が死んでも、メディアの中に残る。
「抗する」で語られてる、ピウスツキの蝋管を「死者の声」と呼んだアイヌの古老は、本質を突いてる。


養老孟司が「情報の本質は不変であること」て書いてて、目からウロコだった。物質はいくらカタチが変わっても同じ。だけど情報は、少しでも変化したら、それは別の情報になってしまう。
「弔いの文化史」*4ん中で、ある地方の、死んだ子供の人形や絵馬を作って寺に納める風習が紹介されてたけど、写真ではダメだと。絵や人形の子供は死後もあの世で成長していずれ結婚したりするけど、写真は永遠にそのまま、て考えがあるそうで。*5 写真があまりに本人の姿そのままだから、てことなんだろう。絵や人形は本人にそっくりではなくて、ただ遺族が死児を思い出すきっかけでしかない、だんだん記憶も薄れてくし、その課程で子供があの世で成長して老いていずれ死んでゆく、てことを想像出来る。
手塚治虫がロボットと人間の最大の違いとして、ロボットは成長しないって挙げたのと通じる。アトムは、トビオの似姿をロボットにコピーしただけで、トビオの肉体ではないから、本物のトビオのように成長したりしない。それが天馬博士には耐えられなかった。アトムはトビオの遺影でしかない。
それが、生者の脳に残された記憶と、メディアに固定された記録との違い。

キロが、少数民族の文化が帝国に呑まれてしまうって危惧してるのは、政治の話だけではなくて*6、変遷していく文化の話でもある。
少数民族て言っても、マッチや銃使ったり、キロやウイルクも若い時は洋服着てるし、日常の便利さ、生活を無視してまで、伝統に固執するのは難しい。

ウイルクが語る狼の掟も、それを是とするなら、少数民族が帝国に呑まれるのも仕方ないって話になってしまう。
大国が経済発展のために少数民族を蹂躙することとと、運動家たちが足手纏いの弱者を殺すことって、同じだ。
自分の暴力を正当化するなら、自分もまた暴力の犠牲になることを覚悟しなきゃ。
だからウイルクはキロランケと尾形に殺され、キロランケは鯉登たちに殺された。
一方で、人は、自分の家族や親しい人が飢えや病気なんかで苦しんで死んでいくのを見たくないから、文明を発展させてきたし、社会や経済もそのために大きくしてきた。

民俗学博物館のアイヌ展のパンフ*7あるけど。写真にある、何十年も前の古びた物は物質の変化てものを考えさせられる。
アシリパさんたちが使ってたころは、もっと新品だったはずなのに。
カタチある物は経年劣化を免れない。
だからこそ、アシリパさんは、メディアに残そうと思い立つのか。

そのほか参考。
* 民族誌映像の中のアイヌ
*

*1:その点、尾形と似てるんだよなw 尾形も獲物みると取敢えず撃つ。彼はおそらく快楽殺人者で、獲物を仕留めること自体に快を覚える。

*2:Auguste & Louis Lumière: Les Aïnos à Yeso - I (1897) - YouTube

*3:ブロニスワフ・ピウスツキ - Wikipedia

*4:

*5:もちろん、場所によっては、写真でもokてとこもあるだろし。その地方その地方それぞれの風習としか。

*6:どうせ金神の10年後には、ロシア帝国なんてなくなるんだし。

*7:f:id:faomao:20190704200148j:plain