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日々是々

金神227「共犯」感想 ゴールデンカムイ

faomao.hateblo.jp

鶴見、愛の劇場。

つい、笑っちゃった(笑)
すげえワカルwww

※今回も、グロスマンの著書を主として引用が多いです。
とくに断りのない引用は、グロスマンの『「人殺し」の心理学』と、続編『戦争の心理学』から。*1
チビうさのエピソードで全面的に引用されてるし、『ゴールデンカムイ』の作品全体でもかなり元ネタになってると思う。*2
というかそもそも、グロスマンの本自体が、各種文献や寄せられた手紙などの引用が多い。
念為、パクリって言いたいわけじゃなくて、自分の好きな本が多く引用されてて嬉しいのです。


私、もうだいぶ前だけど、殺人について読み漁ってるとき、タイトルだけでこの本図書館で借りて、非常に衝撃というか感銘を受けて、ハードカバー買って、タイトル違うから文庫で買って、更に続編まで買ったんだ……
野田先生も、どっかの記事で、「殺人事件について読み漁った」とかなんとかおっしゃってたから、たぶん、同じ読書遍歴辿ってるんだろな、と。
「人殺し」のほうは、戦士を鍛えることの心理的影響に憂慮してるけど、「戦争」のほうは開き直っちゃった。論調の違いは、続編は、警官や兵士など職務で時として人を殺さねばならない人たちのための教本として書かれたせいもあるし、二つの本の刊行の間に911のテロ事件があったから。

殺人学(killology)と、グロスマンは名付けてるのですね。

鶴見「殺人への抵抗を飛び越えられる人間について
それ、私も、ずーっと考えてるから!
「ほとんどの人は人を殺せない」。それは社会性動物として、ヒトの遺伝子に書き込まれた本能だ。
ではどうやって人が人を殺せるようにするのか。

鶴見は「愛」だという。
じゃあ「愛とはなにか」って問題になってくるじゃん。
性愛は愛の一部でしかない。
宇佐美のは、愛というより執着なんだけど、それも広義には「愛」に含めてもいいのかも?
私としては、「愛」には互恵性が必要条件だと思うのだけど、まあそれは解釈違いかもね?
例えば、鯉登は、美味しいお菓子を鶴見にも教えたいという、それが互恵性
しかし、宇佐美が同じようにいうかは、疑問。

童貞喪失とか、愛とか。
やたら性愛に擬えてるのは、別に、ヲトメにアピールしてるわけでもなかろうよ。
エロスとタナトスが手に手を取って躍ってるのは、『ゴールデンカムイ』ではよくあること。

まず「恋愛」という言葉について。
本来の日本語では、「恋」は性愛、「愛」はもっと広い仁愛などを指すというのですね。
相手を欲しいと請い願うから「こい」、相手と分かち合いたいと願うから「あい」。
さだまさしが端的に歌ってる。

求め続けてゆくものが恋 奪うのが恋
与え続けてゆくものが愛 変わらぬ愛
――恋愛症候群 さだまさし - YouTube

だから宇佐美のは「恋」ということになる。
それはむしろストーカーっぽい。
下手すると「篤四郎さん殺して僕も死ぬ!!」とか言い出しかねない。

狭義には、「愛」って、オキシトシン、通称「愛のホルモン」が脳のレセプタに与える生理的反応のことなわけですが。

 人間を利他的な行動に駆り立てるホルモンが近年明らかになった。オキシトシンである。オキシトシンが血流中に増えると脳に影響を与えて、恋人同士の愛を強め、母と子どもの絆を強めるというのだ。オキシトシンの受容体は、脳や身体全体に分布しているが、特に脳では情動や報酬と関連した領域で集中して発現している。恐怖や感情を感じる桃体、報酬や快感と関わる側坐核(nucleus accumbens)などでは集中的に発現している。
――『脳に刻まれたモラルの起源』*3

*4

性愛は、また別のホルモンの作用。

積もり積もった宇佐美の鬱屈。
背後に描かれた井戸が意味深だ。

心理的なスタミナについて、グロスマンは「忍耐力の井戸」を挙げている。

だれもが自分だけの井戸から少しずつ内的な強さと忍耐力をくみ出してくるが、ついには井戸が干上がってしまう。
 :
すぐれた指揮官は、とほうもなく深い井戸を持っていて、そこから忍耐力をくみ出す//また、部下たちが忍耐力をくみ出すのを許し、部下を強化する能力である。

しかしここではまだ、戦闘の話ではない。
もしかして、井戸=イドの洒落もあったりするの??
今まで地下に封じ込めてたイドの怪物が、鶴見の言葉を切掛に、地表に出て来ちゃった。

人間のなかでは超自我《スーパーエゴ》(良心)とイド(個々の人間のうちに潜む破壊的な動物的衝動の無気味な集まり)が常に闘っており、その闘いを調停するのがエゴ(自我)だと考えた。

そのダブルミーニングかも知れない。
この「聖地」は宇佐美のイド。
しかし、宇佐美のスーパーエゴとなるのは鶴見って、どんな地獄だ。かくして宇佐美と鶴見は共犯に。*5

鶴見「時重くんという興味深い存在が」
「興味深い」かwww
道具として、ってことですね。

鶴見「北海道に左遷だよ」
というけど、
宇佐美「篤四郎さんが言ったから…」
お互いに負い目を感じさせようとしてる。
共犯関係は、愛とは違うんではないか?
それは相互不信があるように感じる。

宇佐美「何度も戻り自分の殺しを妄想して自慰行為をするような変態に違いない」
「僕には分かるんです!!」

宇・佐・美wwwwww
やってるのね、アナタwwww*6

こういう、作者氏のブラックなユーモアセンス、大好きだwwwwww

宇佐美、快楽殺人者ってことで決定だ。
念為、性的暴行の殺人者とは全然、別だよー
多くの性的暴行殺人は、暴行が激しすぎて相手を死なせてしまうケースで、殺人に至らないことも少なくない。
一方で、快楽殺人は、殺人そのものに快を覚えるので、被害者には特定のタイプに依らない。

このコマの宇佐美、また変な顔して……あれ、なんでこんな構図、と思ったら。
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普通に銃を担いだら、弾薬盒、この位置に来ないでしょ。
わざわざ、このポーズを取らせてる。
筒とタマを握ってるんですよ、宇佐美*7

宇佐美、目が二重に描かれてるのは、極度に興奮してるときか。
今も思い出して興奮してるのねっ
彼は常にテンション高いんだ。

鶴見「答えを見つけた気がするのです」
このへんも、グロスマンの本からの引用。

鶴見「憎しみではなく恐怖でもなく政治思想の違いでもない…」

戦闘中の人間はたいていイデオロギーや憎しみや恐怖によって戦うのではない。
 :
戦闘中に兵士のあいだに生まれる強力なきずなは、夫婦のきずなよりなお強いと古参兵たちは言う。

だけど。
鶴見「愛です」
尾形・鯉登・宇佐美・月島、4人をまとめて、「愛」って言葉で片付けちゃってるのが、鶴見の限界だ。
1ページぶち抜きで強調してるけど、彼にとって愛とは、ウラジオストクのように偽りの自分を演じきるためか、他人を縛る道具でしかないじゃん。
そもそも鶴見、愛に対応する情動がないでしょ? 頭で理解はしていても。
目が真っ黒だもん。
白々しい。

4人の中で互恵性のある、真に「愛」と言えるのは、鯉登だけじゃなかろか?
鯉登は「真っ直ぐ」だ。
あっさりインカラマッの占い信じてるし。

鶴見「攻撃性が強く忠実で後悔や自責を感じずに人が殺せる兵士」
宇佐美はこのタイプ。

尾形も「攻撃性が強く後悔や自責を感じずに人が殺せる」けど、忠実さがない。だから「山猫」。
もし尾形が鶴見に愛を感じたとしたら、尾形は鶴見を網走で殺してたはず。

鶴見「中には「生まれながらにして兵士」の者もいます」「ほとんどの兵士は羊なのですが その中にわずかに「犬」がいる」
これも、グロスマンの本に出て来る喩え。

世界の大半は羊なのだ。//真の意味で攻撃的になることはできない。
狼(社会病質者)や野犬の群(ギャグや攻撃的な軍隊)も存在するわけで、牧羊犬(兵士や警察)は//これらの野獣に立ち向かう傾向を与えられた者

……とグロスマンはいうけど、でも、狼は狼で彼らの集団のルールに従ってるので、喩えとしては不適当に思える。(実はこの比喩は、ある帰還兵の言葉の引用なので、この言葉を使うのは、まあ仕方ないかも)
だから、鶴見は、狼のことは触れてない。
「後悔や自責を感じずに人が殺せる」者は2%ほどという。うち半分が「狼」で半分が「犬」だと。

送り込まれる兵士のうち、100人に10人は足手まとい//80人は標的になっているだけ//9人はまともな兵士で戦争をする//残りの1人が戦士で他の者を連れて帰ってくる

古代ギリシアの指揮官が故郷に当てた手紙にあるそうな)

月島は、現実感を失うことで、罪悪感に耐えてる。
月島は恐らく、「現実の自分」は、イゴちゃんといっしょに客席からホラーの舞台を眺めてるつもりでいる。舞台の上でなにが起きても平気。*8
もし自分が観客でないのなら、イゴちゃんの死が確定してしまうので、鶴見の言葉を否定できないでいる。
イゴちゃんの死が確定しないうちは、生きてるものとして耐えられる。
こういう、シュレディンガーの猫のような不確定性も、ゴールデンカムイって作品の特徴に思う。全てを俯瞰する超越者がいない。

しかし、この話で、「愛」って言っちゃう鶴見、というか、野田サトル氏スゲエ。
注記のなにもなく、ただ、「愛」と。

「愛」ってなんだろね?

月島「オレを手懐けようなんて思うなよ」
え、月島、ちょっと心が揺らいでるの?
手懐けられかけてる?
この3人でまた1パーティできちゃったりするの?

その他、関連しそうな本。

  • 『暴力の解剖学』*9
  • 『ソロモンの指輪』*10
  • サイコパス-冷淡な脳』(サイコパスについての通俗本はいっぱいあるけど、中でももう少し専門的な本)*11

*1:

*2:例えば1巻冒頭、杉元がロシア兵の目に指突っ込んで殺すシーン。

*3:

*4:この本では、仁愛・公平・忠誠・敬意・純粋って5つを人間の本能として挙げて、更に、<これらの倫理基盤は、人類が同じ社会に所属する他者と協力する環境の中で進化適応してきたことにより獲得されたもので、生得的な人間の特徴を表わしていると考えられている。それゆえに、ハイトの理論では、これらの倫理観は人類に共通した普遍性をもつ感覚であり、異なる文化圏における倫理的規範もこれらの概念に帰属するだろうと考えられている。> また、これは個人差が激しくて、特に前2と後3つのグループ、どっちがより高いか、それがリベラルと保守の違いになるという。

*5:スーパーエゴは自分の中に投影された親(やそれに近い人)だという。杉元のスーパーエゴはアシリパさんだが、アシリパさんのスーパーエゴはウイルクであるらしい。しかしアシリパさんはウイルクの善い面しか知らないのだ。樺太行でウイルクの「今まで知らなかったこと」を徐々に知り、アシリパさんは変化していく。

*6:人の性指向を笑って良いものかちょっと迷うが。

*7:凶器を性器に見立てるのは、尾形でも繰り返されてる。
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アニメの描写なんか露骨すぎるわっ
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*8:イタリアの俳優ジャンカルロ・ジャンニーニが。ルキノ・ヴィスコンティの映画にオファーされたとき、「赤ん坊を殺す役だけど大丈夫か?」と聞かれて、「赤ん坊を殺すなんて映画の中でしか出来ない、もちろんやらせてもらう」って二つ返事で受けたと書いてる(『ハンニバル』のパンフ)。フィクションと現実の区別ってこういうことだと思う。あるいは、『アサシンクリード』だの『GTA』だのってゲームをプレイしてる感覚――いや実は、グロスマンは、FPSだの「暴力的なゲーム」の規制のロビー活動もやってるんだけど、彼がそういう理由も、ここに挙げた本に書いてあって、傾聴に値する。

*9:

暴力の解剖学: 神経犯罪学への招待

暴力の解剖学: 神経犯罪学への招待

*10:

*11: