金神221話「ヒグマ男」感想 ゴールデンカムイ
ウェンカムイ。
お久しぶりの門倉&キラウシ。
んー門倉の語る平太の話には、被害者としての平太は出てこない。
幼少期の虐待が原因で、解離性同一性障害、いわゆる多重人格のシリアルキラーになった、ってタイプか*1
『ゴールデンカムイ』では、児童虐待とカニバリズムについて、明言しない傾向があるようで。
家永にしろ平太にしろ、ストーリーや絵でそう示唆されてはいるんだけど、「人間を食った」とは書いてないんだよね。「人食い」だとかは書かれるにしても。メジャー誌の出版コードなんだろか?
児童虐待にしてもハッキリとは書かれない。*2
平太「「あれ」が無ければ 食われない」……
「あれ」ってなんだろ?
毛皮のことかと思ったけど、金を指すのかも?
その後に入れ墨が出て来るので、毛皮を失ったのでウェンカムイに食われない=クマにならないで済むと思ってたのに、入れ墨を入れられてしまった、別のなにかになってしまう、と思った……
と読んだんだけど、金でもハナシ通じないこともない。
門倉の話では、金への執着心は書かれない。
あくまで殺人は頭の中のウェンカムイが勝手にやったことだと。
平太「私の体はバラバラの肉片となって山に飛び散る」
という。彼は罪悪感を覚えているようだ。
そして冷却期間を経て、また新たな衝動が高まるのを待つ。
いわゆる多重人格といっても、どんな人格でいようと、その中にある自我は同じ本人自身。インターフェースが変わるだけで、カーネルやハードウェアは同じ。
一般に、幼少期にあまりに辛い体験をして、通常の人格では対処できないときに、対処できるような人格を自ら作ろうとする。発症するのは比較的若年で、成人後の体験が原因で発症するのは稀だとも。
平太は、家族からの虐待と、アイヌから聞かされた話が、トラウマになったんだろか。もしかすると、実際にヒグマが誰かを襲って食うところを見たのかも知れないし。
門倉「松田平太が死刑になった裁判の記録では」
で食われてるのは、嵩にいであるらしい。服のトーンは同じだけど髪型とヒゲが違うんだ。「嵩にいに似た他人」なのかも。
彼も砂金採りをしてたのは確か。
それが、ホントに彼の兄なのか、それとも、行きずりで殺したアカの他人を、家族だと思ってるのか。
217話から語られる「平太の家族たち」、父親や兄弟、ノリ子さんは、けして、悪人には描かれてない。彼らは平太を搾取する人物ではない。
彼らははたして本当の彼の家族だったのか。
あれ、クマになりきって人を殺して食ったのなら、心神喪失で責任能力ナシとされて無罪(&精神病院に収容)、にならないか?
……と思って刑法についてざっと調べてみたら、現行の刑法は1907年公布(→【刑法 (日本) - Wikipedia】)08年施行だった。『ゴールデンカムイ』の時代はまだ旧刑法なんだな……
現行刑法の39条(心神喪失及び心神耗弱)*3に相当する条文は、旧刑法にもあるだろう。
このへんかな?
第4章 不論罪及ヒ減輕
第1節 不論罪及ヒ宥恕減輕
第78条 罪ヲ犯ス時知覺精神ノ喪失ニ因テ是非ヲ辨別セサル者ハ其罪ヲ論セス
刑法 (明治13年太政官布告第36号) - Wikisource
【「精神病者」と刑法第39条の成立 - 早稲田大学リポジトリ】(PDFへのダウンロードリンク)
当時、(今でいう)解離性同一性障害が精神病と認められたか、て問題もある。
「解離性同一性障害」って病名自体が現代の産物で、サブカルでは「多重人格」のほうが通りがいいし、明治時代にはどう認識されていたのか。(→【解離性同一性障害 - Wikipedia】)
ちょうど19世紀末~20世紀初頭くらいに、精神病として報告され始めたのかな。
明治末期ぐらいには、精神科医自体、日本に少ない、司法手続で精神鑑定がどこまで行われてたかどうか。
……クマの毛皮着て人殺して食ったって状況からして、精神病(当時は「瘋癲」て言われたようだ)てされそうなものだけど。
当時、旧刑法では、尊属殺については心神喪失が認められないとあるので、やっぱり父親殺して死刑判決受けたのかも。
第365条 祖父母父母ニ對シタル殺傷ノ罪ハ特別ノ宥恕及ヒ不論罪ノ例ヲ用フルコトヲ得ス但其犯ス時知ラサル者ハ此限ニ在ラス
キラウシ「ウェンカムイを斃したら肉も毛皮も取らず」
……やっぱキモいよね。
「慟哭の谷」*4んなかで語られてる、学生たちのエピソード思い出す……*5
杉元たちには、平太は、自分のことを砂金に執着する、欲深いという。
しかし、欲深い自分=ウェンカムイ、というわけではない。*6
なんだか、ゲルマン神話のファフニールの話を思い出す(→【ファフニール - Wikipedia】)。
『ゴールデンカムイ』自体、序盤の呪われた黄金から、ゲルマン神話の黄金伝説思わせるんだけど。*7
ファフニールは、ドワーフの呪いのせいで、黄金を独占するために、父親を殺してドラゴンになる。
古代の人々は、黄金自体が人を狂わせるのではなく、あくまで、ドワーフの呪いのせいとした。
監獄時代の平太は、クマの仕業としか言ってない。
杉元たちには、ウェンカムイは、欲深い家族を罰し、自分をも罰した、と話した。
この間の平太の微妙な心の変化も気になる。
平太、脱獄してから少なくとも5人は殺してるんだよね。
収監前には何人殺したのだろう。
なぜ、ウェンカムイは監房の中には入ってこないのだろう?
ああ、このウェンカムイって、虐待をする(12歳の子どもに川で砂金採りさせて稼ぎは散財する)ヒドイ家族から自由になりたい平太自身の本心なのかも知れない。
平凡な市民である平太は、殺人に罪悪感を覚えてて、自分を罰するために罰を享受してる。
一方で、ウェンカムイである平太は、脱獄して自由になりたいと思う。
じゃあ「あれ」って、自由の意味でもある?
砂金に執着する自分を罰したい心、家族に虐げられて彼らを殺したいと思う自分を、彼はウェンカムイと見る。
個人が自由を貫き通そうとすると、ときには社会と相容れないって、尾形や白石などのドラマ通じて『ゴールデンカムイ』で何度も書かれてきた話。
しかし平太は、砂金への執着という心からは自由になれなかったし、それゆえにウェンカムイに罰せられた。
「アイヌたちが砂金を集めてた」って話は何度か出て来るけど。
平太は、12歳のころに、アイヌたちと砂金を採っていた、のかな?(そして煙草入れ貰った)
アイヌは、交易民でもあるけど、砂金はそんなに使ってなかったんだろうか?
ただし北海道で砂金がガッポリ採れるとわかったら、大陸の国にしろ大和朝廷にしろ、あっという間に征服されてそうな気もする。それこそ、災厄を呼び込む「呪われた黄金」だ……
アシリパ「正しく伝えることは大切だ」
というのなら、文字こそがその役割なんだけど。
口承では「正しく」伝わらない、伝言ゲーム式に変化していくのが、むしろ口承文化の醍醐味でもあるんだが。
ちょーど最近、マクルーハンの『メディア論』*8読んだばかりなので、このへん気になる。(映画撮影のエピソードあたりから、メディア論に触れてるし)
「(表音)文字が、言葉の魔術の陶酔と、血族から個人を解放する」とマクルーハンはいう。文字と数字って、離散的記号的合理的なメディアが、人間を断片化し、脱部族化したと。時間と空間を越えてメッセージを伝えることが出来る。
口承では、目の前にいる人にしか、メッセージを伝えられない。
杉元「砂金への欲望が人生を狂わせたのか…」
って、杉元自身が、そう思ってるってことだよね。
寅次に聞かされた砂金の話から、杉元はこの冒険譚を綴ることになったんだ。
最後のページの尾形……あれ、結局、こいつも、黄金が目当なの!?
じゃあアシリパさんを殺そうとしたのは一時期の気の迷いだったのか。
自分が手に入れられないのなら誰にも渡さない、というつもり?
彼は、なんのために黄金を欲しがるのか?
ただのゲームとして勝利を収めたいだけなのか??
*1:これって『クリミナル・マインド』でオナジミのパターン過ぎて。現在、AmazonPrimeで吹替え版配信されてるのだ!
*2:だから尾形の幼少期がそんなに酷かったようには思えないのは、虐待されてなかったのか、虐待を明言してないからか、ハッキリしてないからなんだよな。
*4:→ 慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件 (文春文庫)
*5:人を食い殺したヒグマが駆除されて、大学に剖検が持ち込まれて。学生たち何人かでこっそり、切取ったクマの肉を焼いて食った。ところが解剖が進んだら、胃の中から、食い殺された女性や子どもの死体の残骸が出て来て、クマの肉を食った学生たちは吐いてしまった、と。
*6:「犯行を止めて欲しい」というシリアルキラーだと、ウィリアム・ハイレンズが有名だが。→【殺人博物館〜ウィリアム・ハイレンズ】
*7:不死身の主人公だの、その妻となる狼を駆る戦乙女だの。だから、キロランケも、工兵=鍛冶屋のレギンに擬えられてるようで、主人公を裏切ることが予想された。
*8:→