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日々是々

金神310「祝福」感想 ゴールデンカムイ

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尾形ァァァァァ

とうとうこの日が来てしまった。
彼のようなキャラの死はいつものことで、このタイプのキャラばかりが好きな私としてはこいつもか、って。

尾形百之助の死は悲しいし残念だ。
あらゆる秩序を否定して、自分も否定して堕落しきって底についたのか。
メタに見れば、彼は罪科の懲罰を受けたのかもだけど、自分自身とのサバイバルに負けたというか、逆に勝ったというか。
彼が作品世界から排除されたことが悔しいよ。この世界に彼の存在は許されないのだと言われてしまった気がして。
誰が許さないのかといったら、作者氏ではあるんだけど、どうせ作品自体がそろそろ終わるのだしね。
「欠けた人間」と言うのは、「完璧な人間」の存在を大前提にしてるけど、そもそもそんな人間はどこにもいない、だから「欠けた人間」も存在しないのだけど、彼は自分をそう定義して、それらしい生き方をした、と。

勇作さんの出現については充分に予想できた。

私に予想つくくらいに在り来たりな展開なんだよな、で、それをどう回避してくれるかと期待してたんだが。

この勇作さんはつくづく美形だけど、あくまで尾形の中で理想化、美化された勇作さんだ。*1

尾形の死が悔しいし残念なんだけど、いちいち神に属するものを否定し殺してきた彼が、自分のすべてを、愛も、罪悪感も、それを否定してきた自分自身も、なにもかも否定して終わるのが、やはり、「らしい」。
罪を悔いて贖罪するわけでもなく、読者以外の誰にも理解や許しや救済を請うわけでもなく。完全に自己満足でしかない。
8頁に渡って畳みかける独白は圧巻。
何度も誌面の手前、読者に向かって語る。*2
自分と、それに読者を納得させるためだろう。
あの長い独白をマンガにするなら回想の絵で描くしかない。時間としてはごく短いから。今回1ページから尾形のリタイアまで、ほんの数分間の出来事だ。
おそらくは彼の死は5巻で予定され、11巻で決定したのだろう。あるいは初っ端の4話から。300話以上かけて、彼の末期が用意されたのかも知れない。

彼の罪悪感について、私はずっと否定してきた。
彼の非情さがとても魅力的に思えたから。
彼は過酷な過去を負ってたけど非情さ故にタフで耐えていたと。
彼は純粋な悪、サタンの末裔だと。
「この世で最もタチの悪い毒は罪悪感」て言葉もあった。*3
今回、尾形が末期に見た罪悪感――いやこれ自体はずっと、勇作さんの姿を纏って彼の前に現れてたのだ。樺太でも。札幌でも。ただ彼は自分の心と向き合えなかったので勇作さんという他者として見ていたのだけど。――それが彼の魅力を減じはしない。
彼は最後まで自分の罪悪感を否定し続ける。
彼がいままで散々見せてきた冷酷さ、すべての犠牲者に対して罪悪感があるわけでもない。
尾形「駄目だ!! それでは!! すべてが間違いだったことになるッ!!」
彼を支えているのはプライドだ。

勇作さんだけが愛してくれた、と言うけど、母だって愛情はあったし、祖父母だってそう。鶴見の打算的な愛もあるし、アシリパさんだって顔を歪める程度には親愛を持ってた。ただそれらは尾形には届かない。勇作さんと母親だけ。
勇作さん(と母)の愛だけが届いたのは、彼らだけが無償の純愛だったからだろうか? なんの期待もなく、ただ肉親というだけで愛した。
冷徹な兄を否定したゆえに愛情を呼び起こした。

「罪悪感とは愛に対する責任感」とも。尾形は、愛への感受性が低いだけで、それを感じた相手には罪悪感を抱くのだ。
愛とは相互の共感だろう。自分が相手を自分の一部のように感じ、相手もまた自分に同じようにそう感じている、それを感じること。
例えば杉元は動物たちに対しても共感するから屠ることに罪悪感を持つ、アシリパさんは尾形や房太郎のような自分に害意のあった人間の死をも悼み罪悪感を感じるけれど動物は平気で屠る。尾形は共感する相手が人間の中でも非常に限定されているのだろう。
勇作さんは手放しの愛を注いでくる。尾形もそれを感じていたのだと。
尾形の母がそれほどひどい毒母とか虐待親には思えない。ネグレクトってほどでもないし。あんこう鍋に椎茸入れない配慮はしてる。ただ百ちゃんのほうが愛への感受性が低かった。それでも母に対して多少なりとも罪悪感あったから、顔をなかなか思い出せなかった。

過去の彼の姿をしたイドが罪悪感で彼自身を追い詰め、現実の彼のエゴはどんどん崩壊していく。
最後まで強がり言って自分の心を認めない。そして自分自身と戦って、自身に祝福される。
尾形「嬉しいか?」「ああ…でも良かったなぁ」
彼を祝福出来るのは彼自身しかいなかった。
勇作「兄さまは祝福されて生まれた子供です」
そもそも彼は最初から祝福されていた。それを彼は自分で否定していた。

尾形「アシリパは俺に光を与えて俺は殺される」
アシリパさんが尾形に「光」を与えるというのは13巻の全裸バトルのあたりで思ったんだけど。

あれれ、アシリパさんの灯す光で尾形が目標を見つけるって下り、この二人の関係を暗示してるとみるのは、穿ちすぎですかね?

金神13巻の感想 ゴールデンカムイ - day * day

そして、北極星
103話と今回310話、百之助少年が夕暮に見つめているのは北極星だと思う。*4
北極星の指標である北斗七星は、アイヌ語で、クノチウ(弓の星)、アイノウチウ(矢の星)というそうな。*5
アシリパさんの弓矢で射たれた彼が、矢の毒にうなされて、光を見つけるって、寓意的だ。

その光を拒んで彼は自分の目を撃ち抜く。
永遠の闇の中へ。
勇作さんが大笑しながら連れ去り、尾形本人も満ち足りた笑顔になってる。
尾形をガッチリ抱きかかえて連れ去る勇作さんが禍々しい。
尾形が望んだのは祝福=全肯定であって救済ではない。彼は光を拒否して引き金を引いた。引き金を引かせたのは勇作さんの姿をしたサタンであろうよ。
最後の獲物はゼロ距離で撃つ。土方が杉元に託した刀が使われるという、成り行きの妙。
彼の死はほんと悔しいけど、それが避けられないのだとしたら、最高の最期にも思える。
彼は、醜悪で、圧倒的で、魅力的だった。

本誌巻末の今週の質問、「配信で観れるオススメ作品」に、作者氏、「ミザリー」挙げておられる。選りに選ってコレ? 尾形がミザリーなの? て、深読みしたくなる……
スティーブン・キング原作の「ミザリー」。ミザリーというのは映画でキャシー・ベイツが演じた熱狂的なファンではなく、作家である主人公が書いた小説のヒロインの名前だ。
キャラの人気が出過ぎてシリーズを無理やり続けさせられて嫌気が差したので強引に新作中で死なせたら、原稿を読んだ熱狂的なファンに監禁、拷問されて、ファンが望むような話を書けと強いられる。*6

とすると、本来は、尾形はもっと早く、間宮海峡あたりで死ぬ予定だったのだろうか?
物語の構成からするとそんな気もする。間宮海峡以降、尾形の存在理由が希薄になった。まるで無理やりに生かし続けたようにも感じる。終盤もまるで取って付けたようだし。
特にビール工場篇以降の尾形、ファンが見たがるような彼ばかりで、ファンと尾形自身へのサービスにも思えた。
狙撃手として完成し、ビール工場で超精密狙撃や、800mの裸眼での超長距離狙撃を成功させる。
ヴァシリ、鶴見、杉元、勇作さん、アシリパさん、それぞれとの対峙。

細かいところ、彼が最後に使った銃は三〇年式。5巻で尾形が病院から脱走したときに持ち出して、谷垣も三島も前山さん、その他鶴見の部下たち何人も仕留めて、10巻で杉元の三八式と交換して、その後はずっと杉元が使ってた個体。網走でも樺太でも北海道帰って来てビール工場でも五稜郭でも函館行きの車内でも。
先週の杉元との絡み合いの最中、いつのまにか三八式は消えて、三〇年式が尾形の手に戻ってきた。
そして最後には尾形が自身を仕留めるのに使われる。

回想シーン、尾形と勇作さんの背後にいる菊田さん……笑ってる?
彼は弟の死の責任を感じているから、尾形と勇作さんの兄弟を微笑ましく見ていたのだろう。
じゃあ、宇佐美に、勇作さんの死の真相を聞かされたときにどう思ったのだろうね。

ヒグマを斃したあとのアシリパさんが辛そうな顔をするんだ。
彼女とて尾形の死を心底願ってたわけではなくて。
夕張から亜港まで、半年以上は共に旅をした仲間ではあるのだし。

さて……後は消化試合かな……
尾形と鶴見との出会いや、祖父母の消息が謎のままなのは不満だ……単行本で加筆されるとか、本篇終了後に番外篇が始まるのか……? 作者氏、あまりそこに興味なさそうだけど。
兵営での日常も見たいけどねえ――非公式の二次でなく、作者様の公式で。

*1:なんだか杉元に似てるのが気になるが、菊田さんが替え玉にしようとするくらいには似てるのか。

*2:今回のページ構成、なにか映画で見たような気がしてならない。回想の絵でカメラ目線で独白する。大林版「時をかける少女」のエンディングもだけどさ、フィルムノワールかなんかでなかったっけか。ヴィンセント・ギャロあたりがやってそうな気がする。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」にも近いけど。

*3:ドラマ『エレメンタリー』に出てくるセリフ。

*4:あんこう鍋の季節は冬なので、日の入りは北極星に対して鈍角になる→

*5:

Wikipediaの画像を加工しました)

*6:ミザリー、原作小説だと、作者である主人公は、熱狂的なファンよりも、ミザリーを恐れ、憎むんだよね。しかも最後にはミザリーが勝っちゃうんだっけ。ミザリーが死ぬ本来の原稿が破棄されて。